ボスからのメール

Dr. Ohori

ボスからのメール

コロナ、ウクライナでの戦争、突然の元首相の暗殺、ショッキングで嫌なニュースが続きます。つい3日前にニューヨークでお世話になった人生の師であるスカルデイーノ先生から突然メールが来ました。今、こうやって頑張っているのもスカルデイーノ先生の教えがあり、スカルデイーノ先生の様になりたい!が背景にあります。3年前、病院の内覧会セレモニーも米国から来てくれる様にお願いしました。しかし、全く返事がない、人づてにどうやら病気の様だと。過去に私がメールをして返事をくれなかったことはなかったので、メールができないほど重症なのかと案じていました。3年ぶりに来たメールは「安倍元首相の暗殺のニュースを見て、Mak(私の呼び名)を思い出した。あの首相は日本にとても貢献したんだね、家族は元気か? 新しい病院の状況はどうだ?」と言う内容でした。すぐに「皆元気です。病院は経営がとても大変ですが、前立腺の手術は年間200人を超え日本一になりそうです。ところで身体の具合はどうですか? まだ外来・手術をしているのですか?」と返事を送りました。またすぐに返事が来て「素晴らしい!、すごい数を手術してるんだな、論文は書いているのか? 私は大丈夫だが、もうほとんど働いていない、家族と過ごす時間が多い」。最近は、涙腺が緩んでいますので、敬愛するボスから久しぶりにメールが来て、無事であり、元気であり、私のことも気にしてくれていることに感動し涙が出ました。1990年から4年間、ヒューストンで一緒に働き、多くの論文を作り、学会発表をしました。最初の1年は英語も全く理解できず、それでいて外来という現場で働いていましたので困惑の毎日でした。しかし、その当時、西のStanford大学、東の名門Johns Hopkins大学が良い論文を輩出していましたが、所属していたベイラー医科大学から、日本人の先輩を含め多くの留学生・研究生が素晴らしい論文を作っていましたが、症例数が足りず力強さがないと感じていました。ある時、自分の中に「負けている理由が分からない」と言う悔しい気持ちが芽生え、症例数が増えればもっと良い仕事ができると痛切に感じ、お世話になっている病理の先生に「前立腺全摘の症例のデータベースを作りたい」とお願いしました。その先生は「何例?」と私に聞き、私が500と言うと少し間を置いて「OK~」。 そこから毎日の様に一緒に病理のデータベースを作り、その500人の患者さんの経過観察のデータを作り、やっと完成しました。現在では何千という数がありますが、その当時は500と言う数はかなり多い方で、そのデータベースをもとに多くの良い論文ができました。ボスの家に何度も行き、奥さんからは「あなた私といる時間よりMakといる時間が長いじゃないー」と言われながら、多くの論文を仕上げました。三鷹に開院して3年が過ぎ4年目、前立腺の手術は500人を優に超えています。3年ぶりに来たボスからのメール、素晴らしいけれどもっと経験を積んでもっと勉強して、という叱咤激励にも感じました。恩師はありがたいです。

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