1990年から4年間もアメリカ、ヒューストン市にあるベイラー医科大学に留学しました。旅行でも戸惑うことは多いですが暮らしてみてワッと驚くことは多かったと思います。メデイカルセンターから車で約15分の中くらいのアパート群に住んでいました。比較的大きな3DKで電気・ガス込みで720ドルくらいだったと思います(当時1ドル220−230円)。比較的安全な場所と言われましたが、4年間でアパート群の中でレイプ4件、強盗4件。まあ良い方なんでしょうか? 家族が先に帰国し一人で数ヶ月住んでいましたが。ある晩、近くでパン・パン・パンという音。今まで聞いたことがあるような無いような音でしたが、これはやっぱり銃の音だろうと思ったら不安になり、ソファで玄関にバリケードを築いた途端、ヘリコプターの音がしてきてサーチライトで部屋の周りをアチコチ照らし出しました。自分の身は自分で守る、拳銃を持ちたいという気持ちもちょっとは理解できあましたが。 ある時、早朝、駐車場に向かうと遠目で自分のバンの車高が低い感じがしました。近づくと並んでいる数十台の全てのタイヤがパンクしてました。出てくる住民は皆、「オーマイガッド」のポーズ。車屋へ行くと従業員がメチャ明るく「儲かってまっせ」的な元気で、思わず「こいつらか!」と疑いました。 ある時、アパートの近くの交差点で信号待ちで止まっていた中国系の女性が隣の車から撃たれ即死しました。それ以来、ニュースキャスターは信号待ちでは隣の車に同列に止まらないよう呼びかけてました。さらに色々ありました。4年間が終了し、成田に着いた時には何とも言えぬ安堵感を覚えました。