1993年の秋に学会でイタリアのシシリー島に行きました。ヒューストンのベイラー医科大学に留学3年目にインストラクター、4年目にアシスタントプロフェッサー(講師レベル)に昇任してもらいました。その頃は臨床のデータをまとめる係で面白いプロジェクトを沢山持っていて、学会でも沢山発表していました。ほとんどがボスのスカルデイーノ先生に見てもらいながらのプロジェクトでしたが、ボスも私のデータやスライドを多く使い世界各地で講演をしていました。そんなことのご褒美だと思うのですが、シシリー島の学会に行かないかと声がかかりました。もちろん行くことにしました。通常は発表者でこそホテル代、飛行機代が出ますが、その時は発表者ではないのにお金が出ると言われ、その時はラッキーと思ったのですが、実際は思い出に残る大変な学会良好でした。ボス夫妻と私だけだったのですがヒューストンからベルギーで乗り換えたのですが、ベルギーで降りた時に間違えて乗り換えの方ではなく、出口の方に進んでしまい気がついて戻ろうとしたら機関銃を持った兵士に止められ詰問されてしまいました。ボスが気がついて説明してくれて何とか窮地を脱しましたが恥ずかしいやらでやれやれという感じで。次にシシリー島の空港に着いて荷物をとったら、完璧にスーツケースが開けられている状態で出てきて唖然、幸い何も盗られてはいませんでしたが。シャトルバスでホテルへ行き、チェックインすると誰かと相部屋だと。旅行する前に予約した時に、ホテルの部屋数か限られているので相部屋になるかもしれないと返事はもらってはいましたが。部屋に行くと既に別な人がベッドに寝ていて、自己紹介しましたが相手はアルゼンチン人で英語は全く通じず、お互い苦笑いという感じで、もちろん良さそうな人で不安はありませんでしたが。ホテルと言ってもシシリー島のホテルはとてもシンプルで狭く、バスタブはなく狭くカーテンで仕切られたシャワーのみで、ここにアルゼンチン医師の大男と3日間一緒かと。翌日学会場に行くと立派でしたがそれほど大きい会場ではなく、日本の映画館くらいの大きさでしょうか。朝から夕方までぎっしり予定は詰まっていましたが、ボスの教育講演のセッションも8個もありました。どこに観光に行くわけでもないので当然、全部出ましたが、何とボスが発表を始めてすぐに「これから発表する内容はそこに座っているマック・オオホリがデータを作成した」と言い、こっちは名誉でしたが、えーーーっという感じでした。さらに、ボスが発表していると「そういえばこのデータはどうだ、マック?」と質問し出し、会場でコンピュータで必死に分析し答える羽目になりました。そんな感じが夕方まで続き、最後はもうヘトヘトでアルゼンチン人の待つホテルに帰りました。最後の日は遺跡巡りの観光ツアーがあり参加しましたが、学会場で名前が売れたせいもあり、アルゼンチン医師のグループからマック・マックと呼ばれ人気者になり、一緒に観光したり食事をすることになったのですが、誰も英語も話さないので全くコミュニケーションが取れず日本人的曖昧な笑顔でやり過ごし、ヘトヘトになってホテルに帰りました。普通ならここでゆっくり風呂に入ってというところですが、狭ーいシャワー室でしかも重症の前立腺肥大症の人のおしっこの様なチョロチョロシャワー(すみません、泌尿器科医的表現で)で、これが異国の地だなとしみじみしました。それでも同室のアルゼンチン人とは仲良くなり苦笑いから大笑いに改善?しました。思い出深い旅でした。